吉原弁財天・吉原神社にお参りに。
何年か前に浅草に出かけた折、浅草名所七福神めぐりのことを知りました。そして、その中に吉原弁財天が含まれていることを知り、意識するようになりました。関東大震災のときに多くの女性が亡くなった場所。かつて遊廓があった場所。私が女性だからでしょうか、いつも切なく複雑な気持ちになります。それであっても、吉原弁財天は、近くに行くことがあったら訪ねてみたい場所の一つでした。そして、その機会が訪れました。
お参り:吉原弁財天(東京都台東区)
かつて、吉原弁財天は、吉原の遊女たちの信仰を集めていたそうです。昭和10年に吉原神社に合わせて祀られることになったとのこと。吉原神社から50mくらいでしょうか、少し離れたところに、吉原弁財天の遺構が奥宮としてありました。
入ってすぐの場所に、「新吉原花園池(弁天池)跡」の案内板がありました。緊張して、奥へと進みました。
弁天池は、関東大震災の折、遊廓の外に出ることを許されなかった490人の遊女たちが溺死するという悲劇があった場所です。吉原観音様は、積み上げられた岩山の上に建つ、大きな観音様です。溺死した人々の供養のために、大正15年につくられたのだそうです。かなり高い場所にいらっしゃいます。
江戸時代には、弁天池はかつては一面に広がるほど大きかったのだとか。昭和34年、ビル建設のために埋立てられ、今はわずかに名残を留めるのみになったのだそうです。
弁天様の祠。現在の祠は、地元の有志のみなさまが改修されたのだとか。弁天池は、柵の向こう側にありました。
弁天池は、祠の前にありました。鯉がゆるりと池の中を泳いでいました。
池の上には、葡萄の房と風鈴が静かに揺れていました。穏やかな様子でしかないのに、心がザワザワとしました。
次に行くときには、お線香を持っていこうと思います。
「花吉原名残碑」。境内にあります。
地元の方と話したわけでも情報収集したわけでもないので根拠がなくて申し訳ないのですが、私がこの地で感じたのは、弔う気持ちといいますか、思いやる気持ちといいますか、お参りする方々の気持ちが感じられる、静かな雰囲気でした。悲しい出来事があった場所であるので、切なさがどうしても先行してしまうのですが。
お参り:吉原神社(東京都台東区)
お正月はにぎわうそうですが、私が行ったのは10月。訪れる人はほとんどなく、境内はとても静かでした。
掲げられている提灯は、合祀の歴史をみるようです。
神社の入り口の左側に、桜の木がありました。案内板がきれいだったので読んでみたところ、この桜、「逢初桜(あいぞめさくら)」というのだそうです。
案内板によれば、逢初め(あいぞめ)とは、恋焦がれている人に初めて会うという意味とのこと。逢初桜は、200年前に吉原神社(新吉原遊郭に古くから鎮座していた旧吉徳稲荷神社)の御神木だったのだそうです。明治44年の大火で焼失してしまっていたとのこと。それが、平成25年に約100年ぶりに御神木として復活したのだそうです。
吉原神社と吉原弁財天。男性の方はどんな気持ちで訪れるのでしょうか。
ハート
上の写真は、吉原弁財天奥宮で見つけた“ハート”です。祠の前の鳥居付近で見つけた葉っぱの一部が、ハート形をしていました。
下の写真は、吉原神社で見つけた“ハート”です。
お参りの記念に、ご朱印を頂きました。吉原弁財天のご朱印も、吉原神社で頂けます。
七福神めぐりは、一般的には七草(1月7日)までに巡るものなのだそうです。ですが、浅草名所七福神は、一年を通して御朱印を頂けます。私の場合、9か所すべてを一日では回り切れないので、何日かに分けてまわりました。
データ
吉原弁財天 奥宮
住所: 東京都台東区千束3-22
web:吉原弁財天 - TAITOおでかけナビ
吉原神社
住所: 東京都台東区千束3-20-2
電話: 03-3872-5966
web: 浅草名所七福神 弁財天(吉原神社) - TAITOおでかけナビ
撮影日: 2014年10月11日
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