ポートレート
母のポートレートには、私が撮った写真が使われた。
以前、私が送った写真の中から、父が選んでくれた。
自分が撮った写真を使ってもらえるのはうれしいけれど、
複雑な気持ちだ。
あの写真を撮った時のことは、今でも覚えている。
撮った後、デジカメの液晶画面を見てハッとした。
私が撮った写真じゃないみたいだったから。
「撮った」のではなく、「写った」のだと思った。
きれいな写真だった。
撮れた写真を、母に見せた。
「ね、これどう?」
「あら、いいじゃない。」
って、話したのも覚えている。
あれから2年半くらいしか経っていない。
5月。母を送る行事の中で、
いろんな方にお会いした。
親戚や近所のみなさまは、
私が小さかったときから私を知っている。
子どものときと変わらない感じに、
たくさん声をかけてもらった。ありがたかった。
私が撮ったことは伝えていなかったのだけれど、
「この写真、いいわね。」
「私もこういう感じに撮ってほしいわ。」
「写真、送ってもらえないかしら。」
と、話してくださる方が何人もいらした。
待ち時間。葬儀社のスタッフのおば様が、
本堂の外で花を見ていた私に声をかけてくれた。
おそらく、こういうときに話すような、
一般的な話題で、しばらく話をした。
その中で写真の話が出た。
「この仕事を長くしてきたけれど、
このお写真は本当にいいですね。」
この言葉に、余計に涙が出た。
私が撮ったことを伝えると、
「よかったですね。」
と、言ってくれる人が多かった。
よかったのかな。
よかったのだと、
ちょっとずつ、思えるようになってきた。
あのとき。
母のポートレート写真を撮る機会を
神様がアレンジしてくれたのかも。
このブログの関連記事
- 愛語とコマチソウ(2011年06月20日)
- 柳絮(りゅうじょ)(2011年06月14日)
- 風と、雲と、鳳凰三山(2011年05月15日)
- 腕時計(2011年05月08日)
« 駒ケ嶽神社にお参りに行きました。 | トップページ | 「第1回 3.11 東日本大震災の影響 子育て調査」 »
わたしの父が撮った母の写真は使ってもらえませんでした。そのころはまだデジカメの写真を使える葬儀屋さんが少なかったんですね。
でも古い写真のほうがその分若く写っているんだから、母は喜んだんじゃないかなぁ。
投稿: ぶぅ | 2011年7月10日 22時59分
★ぶぅさん
そうですね。お母様、よろこんだかも。
デジカメのデータがあった方がいいかなと考えたのですが、大丈夫だったみたい。写真屋さんが、L版プリントの写真から、きれいに仕上げてくださいました。
コメント、ありがとうございました。
ポートレートみて、またウルウル
投稿: windy | 2011年7月22日 05時37分