離れて想う故郷
澄んだ空気とおいしい水があるところ。
満天の星空を見れるところ。
それが、私の故郷・北杜市です。
進学して甲府市へ。就職して県外へ。
転機のたびに、引っ越すことになって、
徐々に、ふるさとを離れることに。
どこに住んでいても、故郷を忘れたことはありません。
私は今、山の存在を全く感じない場所で暮らしています。家の外に出て周囲を見回しても、どこにも山はありません。空を切り取るのは、山ではなく、ビルやマンション。切り取られた後の影も、山の稜線のなだらかな線ではなく、人工的な直線。こういった街の中にも、もちろん自然を感じる場所は沢山あるのですが、やっぱり故郷の自然には太刀打ちできないですよね。
ある日のこと。仕事帰りのバスの中で、夕日の中に甲斐駒ケ岳がないことに気付いて、ものすごく実家に帰りたくなったこともありました。私の故郷の夕日のシーンには、甲斐駒ケ岳のシルエットが必ずあったから。
保育園、小学校、中学校そして高校と、家を出るときに真っ先に目に入ってくるのが甲斐駒ケ岳でした。朝から夕方にかけての影の移り変わりや、季節の色合いが持つ表情が印象的な山だという印象を持っています。
甲斐駒ケ岳は好き。
安定感があって、支えてもらえる気がするから。
今住んでいる場所では、私が子どもだった頃、故郷で普通にやっていたことができないこと、普通に感じていたことが感じられないことに、自分が母親になってから実感しました。子どもを外で遊ばせるようになったとき、故郷との違いを身にしみて感じたのです。子どもが成長するにつれて、じわじわと。
花に、葉っぱに、虫に。外に出たら、子どもたちは発見の連続になりますよね。その発見体験を大切にしてあげたいと思うと、それが平日の朝だったりすると、なかなか保育園にたどり着けないこともあったりして。その発見体験を、私の故郷でさせてあげたらもっといいのにな。おたまじゃくし、見られる。笹舟、作れるよ。わらびやふきのとうやふき、採れるよ。べびいちご、摘めるよ。たけのこ、見られるよ。それからね、…。
子どもたちは柔軟性があるから、街中でも、自然を見つけては近づいていく。でも、自然の中で子ども時代を過ごしてしまったからか、私は物足りない。実家に帰りたくなる。街中の暮らしは便利だけれど、時折、息苦しくなってしまうこともありるから。
私にとって、故郷はリフレッシュできる場所。帰る場所を確保できているという安心感は、気持ちに余裕を与えてくれていると思います。そしてそこには、相変わらずの父と、母の心のこもった手料理と、弟たちの存在がある。離れてもなお、故郷と実家は私を支えてくれているわけです。
帰省から戻った後、「うちの子、成長した!」と感じた経験がある保護者の皆さんも多いのでは?帰省した時はいつも、一瞬にして、北杜の自然に溶け込んでしまう子どもたち。おじいちゃん、おばあちゃん、おじさん、おばさん、そして、いとこたちと過ごす時間は、普段とは異なる、プラスの経験を子どもたちに与えてくれるようです。
故郷に帰ったら、夜は外に出て、星を見たいな。そしてまた、子どもたちに星の名前を教えてあげるんだ。私が子どもの頃、見上げた星は、まだ同じ場所に輝いているから。
故郷。離れてみると、とても良い環境で子ども時代を過ごせていたことを、本当に貴重に思います。
車を降りるその瞬間にでさえ、自然を感じさせられる、故郷。もうすぐ、ゴールデンウィーク。実はまだ予定を立てていないのですが、今回もまた、実家に帰ってしまうんじゃないかなぁ。
いつの日か、山梨に戻って暮らせるといいな。それまでは、今、私が居る場所で、頑張っていきたいと思います。
[上の写真:実家から見た甲斐駒ケ岳]
[下の写真:実家の駐車場のタンポポ]
この記事は、「北杜市アルファブログ Hokuto In Our Time」に寄稿させていただきました。
「北杜市アルファブログ Hokuto In Our Time」は、山梨県北杜市在住のブロガー6人が、日替わりで記事を書く連載ブログです。今回、私は、ブログオーナーのMr.Xさん(でいいのかな?)からの依頼により、ゲストブロガーとして記事を書かせていただきました。よい経験をさせていただけたことに、感謝しています(^^)
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