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2014年3月11日

東日本大震災から3年。南三陸町で聞いた話をふりかえる。

「大きな地震がまた来るかもね。」
「そうだね。プレートはいつも動いているものね。」
これは、昨晩、子どもと交わした会話です。プレートの話は、担任の先生が教えてくれたのだそうです。私は子どもに4つのプレートがあることを話しました。

2011年3月11日に発生した東北地方太平洋沖地震から3年が経ちました。非常時には「自分が生きる選択をするように」と、子どもたちには日頃から話しています。自分で考えて自分で行動するようにと。地震の瞬間に保護者が必ずしも一緒にいることができるわけではありませんから。

この地球の、このプレート上で生きていく覚悟を胸に、自分ができることを自分ができる範囲で、身近なところからやっていくつもり。この思いが風化しないように、いつも心の奥に、ともし続けたいと思います。

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東北復興サポートツアーで見た、防災対策庁舎。

この記事では、息子と二人で出かけた「東北復興サポートツアー」で、南三陸町の大工さんが聞かせてくださった貴重な話を、過去のブログ記事の中から紹介させていただきますね。

  ─  ・  ─  ・ ─  ・  ─  ・  ─  ・  ─

東北復興サポートツアー
  2日目:3)地元の方との交流会

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夕方は、地元の方との交流会。地元の大工さんが、東北地方太平洋沖地震の津波の時の話をしてくださいました。近所に住むお婆様も来てくださいました。ツアーで来ている私たちのために足を運んでくださり、話をきかせてくださったことを、とてもありがたく感じました。

大工さんのお話は、「先人から受け継がれてきた知恵を大切に」というメッセージが強かったと、私は感じました。とても考えさせられる内容でした。お話が終わった後も、もっとお話をききたくて、ツアーに参加していた子どもたちが、おじ様とお婆様を囲む姿も見られました。子どもたちのココロにも届いたんじゃないかな。きっと。

◆地元の方の話(概要)

うかがったお話は、以下のような内容でした。お話の中から私が受け取った内容を書き出していますので、うかがったときの言葉そのものではないです。ご容赦ください。

     ◇     ◇     ◇

数字はあてにならない。
 「地震の後は、津波が来る」
 「地震が来たら、高い所に逃げろ。」
昔の人たちが言ったことが、正しい。

地震の後、津波が来た経験は、今までもあった。地震の後、津波の到着予想時刻と高さが速報されるが、実際に来た津波の高さは、予想よりも低いことが、ずっと続いてきていた。3mの津波が来るとの予想であっても、実際には1mくらい、というように。こういう状態が続いてきたから、それに慣れてしまった。3月11日の地震のときも、予想よりも高い津波がくるとは考えていなかった。

沿岸には、防波堤が作られていた。東北地方太平洋沖地震の直後、高さ6mの津波警報が出た。その高さの津波が来たとしても、防波堤の高さ(5m)を考えると、防波堤を超えるのはそれほどでもない。だから、大きな被害にはならないだろうと考えた。次の日も、同じ場所で、同じように仕事ができるだろうと考えた。

翌日も仕事できるように、親戚の片づけを手伝い、避難場所に逃げた。その直後、想定外の大きな津波が来た。自分たちは、ギリギリのところで逃れることができた。しかしながら、となりで片づけしていた二人は、未だに行方が分かっていない。あんなに大きな津波がくると分かっていたら、片づけなどせずに、大切なモノをもっと持って逃げたのに。そう、親戚の人は言っていた。俺たちは、いったい、何をやっていたんだろう。

チリ地震のときは、小学校にいた。海水が沖に引き、浜となった場所で、魚を拾った。その後、高い場所に逃げた。そして津波がきた。

テレビや携帯電話などで、簡単に情報を得られる時代になった。地震後の津波予測も報道されるようになり、偉い人たちの言っていることを、誰でも入手できるようになった。技術の進歩は良い面も多いが、その反面、良くない部分も出てきているのではないか。

自分で判断し、自分で行動することが求められていると思う。

東北地方太平洋沖地震の数日前に地震があった。その時も、津波が来た。報道では、津波の高さは60cmだったけれど、実際には140cmの津波が来ていた。140cmの津波が来ていたことが報道されていたら、数日後の東北地方太平洋沖地震のときの行動も、変わってきたかもしれない。

先人の知恵を、活かせなかった。

私たちは、自然の中に家を建て、自然の中に住んでいる。だから、自然との共存を考えることは大切だ。自分は大工だ。大工の仕事は、家を建てることだ。大工も、自然と共に生きるコツを、先人から受け継いできている。

昔の人たちが言ったことが正しい。
数字はあてにならない。
 「地震の後は、高い所に逃げろ。」
ただ、それだけだ。

◆お話をお聞きして(感想)

自然との共存の話を、このツアーでお聞きするとは思ってもいませんでした。朝のオリエンテーションのときにも、似た感覚を覚えました。この日の経験から、いろんなことが、いろんなところで、いろんなふうに、つながっているんだな、と、再認識しました。ひと回り大きな枠でモノゴトみるように、もっと視野を広げていきたいな、と感じました。

実家の父と似たお仕事で、同じくらいの年齢の方が話をしてくださったので、なおさら、私のココロには沁みました。

宿泊先のホテルに戻る時刻になるまで、おじ様とお婆様を囲む輪がありました。その輪の中に、ツアーに参加した中・高校生が何人もいたことが、印象に残りました。みんなのココロに残るね、きっと。

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南三陸・歌津の絆Tシャツに添えられていた、
手書きのメッセージ。
「ありがとうございます」「感謝いたします」

こちらこそ。気付きと学びを頂けたから。

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東北復興サポートツアーで見た、歌津バイパスの橋げた。
テレビやGoogle Mapで見た様子が目の前に。
言葉がありませんでした。

  ─  ・  ─  ・ ─  ・  ─  ・  ─  ・  ─

東北復興サポートツアーで、地元の方が話してくださったお話は以上です。ツアーの参加レポートの全文は、以下のリンクからたどれます。よろしければ、お読みくださいね。

「親子で行く東北復興サポートツアー」
 参加レポート

 
はじめに 
 ・ 準備:参加の目的
 ・ 準備:ボランティア活動保険に入る
 ・ 準備:災害ボランティア用品をそろえる
 ・ ツアー:1日目:移動日
 ・ ツアー:2日目:1)オリエンテーション
 ・ ツアー:2日目:2)復興支援活動
 ・ ツアー:2日目:3)地元の方との交流会
 ・ ツアー:3日目:世界遺産「平泉」見学

東北復興サポートツアー

あの日のことを忘れないように、まとめておいたのが以下の記事。読み返してみようと思います。ふりかえり、経験から学んだことを活かして前に進むために。

 2011年3月11日、徒歩帰宅の記録
 ・ 地震発生から徒歩帰宅出発まで
 ・ 徒歩帰宅 (1)(2)(3)(4)まとめ
 ・ ツィートの記録
 ・ 写真の記録

2011年3月11日 徒歩帰宅
by Google Picasa

 ワーキングマザーが災害のためにやっておくこと
 お子さんのいるご家庭はニュースを見るのを控えましょう。
 計画停電の夜
 災害に備えるという意識

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