2011年3月11日の記録:徒歩帰宅(1)
2011年3月11日の記録の続きです。前の記事では、地震発生から徒歩帰宅出発までのことを書きました。この記事では、1回目の徒歩帰宅を断念したことと、2回目の徒歩帰宅出発までのことを書いています。
2011年3月11日の記録 目次
・ 地震発生から徒歩帰宅出発まで
・ 徒歩帰宅 (1)、(2)、(3)、(4)、まとめ
2011/03/11 18時過ぎ
同じ方向の人たちと一緒に帰るようにとの会社からの指示に従い、千葉方向に帰る同僚たちと一緒に、4人で会社を出発しました。娘は学童保育にいるはず。息子は自宅か友達の家にいるはず。この時点で、まだ連絡はとれていませんでした。
2011/03/11 18:03
自転車屋さんが大混雑。おそらく、自転車で自宅まで帰ろうという人たちが、買い求めていたのだと思います。自転車屋さんの床がかなり見えていました。売れた自転車が多いのだな、と認識しました。
会社を出る前の計画では、しばらく歩けば、タクシーを捕まえられるだろうから、タクシーに乗って帰ろうというものでした。私は普段の道の様子を知らないので、他の皆さんの情報が頼りでした。いざ、歩きだしてみると、道は大混雑。タクシーは全然いない状況でした。
電話は、相変わらず、つながらない状態でした。Skype経由でもダメ。auの携帯電話を使っている同僚は、結構つながっていて、話を出来ていました。
2011/03/11 18時30分頃
会社を出る前の計画どおりにはいかないことがわかり、いったん会社に引き返すことになりました。一緒に歩いていた4人のうち、私だけがどうしても帰らないといけない理由(学童保育へのお迎え)を持っていました。会社からの指示は、同じ方向の人たちと一緒に帰るようにとのことだったけれど、ここで他の3人と別れて、一人で徒歩帰宅すべきだったと、今なら言えます。そうすれば、1時間早く、帰宅できたはずだから。
はがれ落ちた壁の横を通過。
いったん、会社に戻りました。
家族に車で迎えに来てもらうから、それに一緒に乗って行かないか、と、声をかけていただきました。有難い言葉だったなぁ。お言葉に甘えて乗せていただこうと考えていたのですが、インターネットで道路の混雑状況を調べたり、さっき歩いたときの道路状況を考えてみても、車での移動はかなり難しいことが分かってきました。
交通機関が動き始めるのを待つ、つまり翌朝まで待つ人たちが多い様子でした。私は学童保育にお迎えに行きたい。その目的のために、ひとりで歩いて帰ることを、考え始めました。iPhoneを充電。電池がもたなくなったときのことを考え、難しい道のりではありませんが、念のため、地図を印刷しました。近くのコンビニは食べ物がほとんどない状態でした。残業するときのために、会社の引き出しに買い置きしておいたカロリーメイトと、おなかにたまりそうなお菓子を食べて、歩く準備をしました。
そんな折、当時、直属だった上司が、千葉方向に帰ろうとしている人(今の上司)がいることを教えてくれました。windyさんが帰りたいはずだから、一緒に、と、その同僚に話してくれたのです。しっかり送るようにと、部長が言葉を添えてくださいました。いい年した女性な私ですが、うれしかったな。今でも、皆様に感謝しています。
そんなわけで、1回目とは異なる同僚と二人で、徒歩帰宅することになりました。
2011/03/11 19時頃
◇ 学童保育からのメール
どのタイミングだったのかは詳しく覚えていないのですが、たぶん、19時頃、大量のメールが携帯電話に着信しました。それまでの分が、たまっていた様子。ソフトバンクのつながり具合を考えると、返信しても相手に届くのはいつになることやら。。。とは思いましたが、歩きながら、返事を書くことにしました。
大量着信したメールの中に、学童保育からのメールも、2通、含まれていました。以下がそのメールの内容。2通めのメールを見たときの安堵感は、書き表せるようなものではありません。
Subject: お迎えのお願いについて
Date: 2011/03/11 16:40
********からのお知らせです。
本日、午後3時頃、強い揺れの地震がありました。現在のところ、被害の報告はありませんが、お子様の安全を考えて、保護者様のお迎えをお願いしたく、ご協力をお願いいたします。Subject: お子様の安全状況について
Date: 2011/03/11 17:40
********からのお知らせです。
本日、強い揺れの地震がありました。
********をご利用いただいているお子様の安全確認が取れましたのでご連絡いたします。
よかった。娘の無事は確認できました。
市の関係者の皆様に感謝。
午後は学校がない日だったので、息子は自宅か友達の家にいるはず。無事は確認できていなかったけれど、無事だと信じて歩きました。
◇ twitterを利用
旦那様とは、まったく連絡がとれませんでした。しかしながら、無事を確認できました。旦那様のtwitterのつぶやきを読んだからです。旦那様は多めにつぶやくタイプ。ですので、自宅に歩いて向かっていることが分かりました。twitterでは、お互い、フォローしていない関係なのですが、フォローしていなくてもつぶやきを読める仕組みが助かりました。
また、知人の何人かが、徒歩帰宅途中であることも、twitterで知ることができました。ならば、私もつぶやきながら帰ろう、と思いました。電話は、いつ、つながるか分からない状況。連絡がとれていない弟たちが、見つけてくれる可能性もちょっとは高くなるかなと考えたからです。
※Webアルバムと「写真の記録」の記事で紹介させていただいた写真を、主に使っています。
2011年3月11日
東北地方太平洋沖地震の日の徒歩帰宅の記録
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2011年3月11日 |
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