歌えなかった卒業ソング「巣立ちの歌」
中学校のときの音楽の先生(F先生)は、卒業生が卒業式の中で歌う歌として「巣立ちの歌」を選んでくれました。もちろん、生徒も大賛成。しかしながら、卒業式では、それまでの年と同じく「仰げば尊し」を歌うことになりました。
F先生は「巣立ちの歌」を提案してくださったそうですが、「“古いアタマの人たち”を説得することが、どうしてもできなかったのだ」と、説明してくれました。「巣立ちの歌」を歌えなかったことよりも、「前例がないから」「いつも“仰げば尊し”だから」という理由だけで、新しい提案が通らなかったということが、理解できなかったことを覚えています。先生方をうならせるくらい合唱が上手なクラスだった私たちは、「仰げば尊し」を素晴らしく歌いあげようと頑張ったものです。“古いアタマの人たち”に対する、ちょっとした反抗心をもって(少なくとも私は)。
“古いアタマの人たち”と戦ってくださったF先生のことは、今思い出してみても、かっこいいなって思います。生徒たちが楽しめること、新しいことを、ドンドン取り入れてくれる、話のわかる、いい先生だったなぁって。
そして、昨日の息子の卒業式では、「巣立ちの歌」が歌われていました。「旅立ちの日に」も歌われていました。まるで、F先生の感じた壁なんてなかったかのように。時代は変わった、というか、うまく表現できないけれど、いいコトだなぁ。
卒業式の保護者席で、そんなことを考えていました。
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関連情報へのリンク:
- Wikipedeia - 合唱曲
- 山の音楽(MIDI)アルバム(JASRAC許諾サイト)
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